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坐魚荘を訪れて [美術館・博物館・水族館]

静岡の興津にある坐魚荘に行ってきました(^^♪
坐魚荘は、最後の元老、西園寺公望が晩年を過ごした場所です。
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この建物は、再建されたもので、実物は明治村で保存されています。
ただ、この場所に坐魚荘を再建したことに、とても大きな意味があると思います。
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当時の技術を再現し15年前に建てられたそうです。
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よくぞ、ここまで!!素晴らしい!!
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西園寺公の邸宅は、様々な工夫が施されていました。
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雨戸の収納庫。素敵な造りです(^^♪
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当時は、目の前が海で三保の松原まで見えたという景観を損なわないよう、雨戸に工夫が施されいます。直角になる所に(ちょうど、ガイドさんと私が写っている場所です。ここに鉄の棒が1本立っていて、その間を雨戸は、落ちることなくすり抜けて向こう側までいきます)、雨戸の収納庫を造らず、雨戸を滑らせ、そのまま、反対側の端まで届くようにしています。

素晴らしい匠の技だけでなく、当時の状況を反映して、表面は竹で覆われた鉄格子の窓や、部屋のいたるところにボタンが設置され、押すと女中さんの部屋のボードにランプが光り、どの部屋から押されたかわかるしくみになっていたりとか。かなりハイテクな建物だなと思いました!!
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もちろん、お風呂場から喉が渇いたので水をくれということでボタンを押すということもあったようですが、隅々まで、かなりのセキュリティーが施された建物でした。入口には、警備の方が常駐して詰める場所もありました。当時は、歴代の総理大臣が襲撃されることも珍しくない時代にさしかかっていました。台所では、包丁を持たないよう、料理を作らなかったとか。料理は外から頼んでいたようです。

西園寺公望は、この場所で、昭和15年に亡くなりましたが、政治家・官僚、様々な人がここを訪れました。当時、重要なことを決めるときは、元老に伺いをたてることが必要でした。当時の写真も多数残っていました。東京での国葬に向かうため坐魚荘から興津駅まで、多くの人が西園寺公の最後を見送った写真が残っていたのには、驚きました。

ここを訪れるきっかけになったのは、小田原の明治・大正を知りたくて、小田原に別邸黄樹庵を構えた松本剛吉の著、松本剛吉政治日誌を読んだことがきっかけです。松本剛吉は、小田原の古稀庵に居を構えた元老、山縣有朋に仕え、小田原と東京を行き来し、高齢の山縣公に様々な情報を伝えていました。

小田原にたくさんの政治家・官僚等が集まり、小田原詣でとまで言われました。自分の命がもう長くないと感じた山縣公は、松本剛吉に西園寺公に会うよう云い、大正11年に山縣公が亡くなった後、松本剛吉は、西園寺公に同じように小田原から東京、興津へと往復し情報を届け伝えたと記されていました。当時、興津は、山縣公が居た小田原と同じように興津詣でと言われていたそうです。

小田原は関東大震災の影響で、町全体が大きな打撃を受けたため、古稀庵を中心に賑やかだった当時の現地の記憶をたどることが難しくなっています。松本剛吉の政治日誌が唯一、事細かに当時の記憶を伝えているといっても過言ではないと思います。その松本剛吉も、昭和4年に亡くなります。

政治日誌より興津を知り、そこへ行けば、小田原が当時どのような雰囲気の場所だったかを知れるかもしれないと思いました。行ってよかったです。たくさんの記憶が残されていました。

大正時代は、教科書ではページ数は薄いですが、日本にとって、大きな節目であったと思います。明治の功労者(いろんな意味で現代日本の元を築いた人達)が、ほぼ亡くなっています。そこで、止まった日本の時間があるような気がします。現代文明を考えるときに、大正時代は、参考になることがたくさんあるような気がします。


西園寺公は、亡くなる前に、「一体どこへこの国を持っていくのや」と秘書に言ったそうです。

地元のガイドさんが、「まだ時間大丈夫?」と言いいながら、素晴らしい熱意を持って多くのことを教えてくれました。本当に大感謝です!!本当は、こちらがガイドさんに、時間大丈夫ですか?と聞かなければならないのに。その熱意には脱帽です!!

また、興津は、元老、井上馨の晩年の地でもあり、その跡地も見てきました。井上馨亡き後も遺族が建物:長者荘を管理していたようですが、戦争で焼夷弾が落ち建物は、消失したそうです。その場所は、現在、静岡市埋蔵文化センターになっていました。興津は、縄文遺跡等もあり、なんとなく小田原と似ているような気がしました。


それと、興津の一駅先の清水港で腹ごしらえをしたので、たくさん歩くことができました(^^♪ここ、とっても大事です!!
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おいしかった(^^♪

興津・清水来てよかった(^^♪いっぱい参考になりました!!これから、小田原にある大切な日本の歴史について自分なりに発掘して伝えていけたらと思いました(^^♪

今年は、西園寺公望生誕170周年、坐魚荘創建100周年、復元15周年だそうです。興味のある方は、是非訪れてみてください。

いつもご覧いただき、ありがとうございます。




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