小田原に住んだ人々 [鉛筆画]
お店がお休みなので、いろいろと勉強しています。
小田原に住んだ人たちを調べると、教科書には、載っていませんが、現在の日本を知る手がかりになる方が多いです。その昔、東海道新幹線の実験線が小田原の鴨宮にありました。
十河信二 新幹線の父(鉛筆画)。人物画を描いていると、絵の中の人がまるで、生きているような感覚を覚えます。鉛筆画で描くことで、微妙な濃淡の表現の勉強にもなってます。
不屈の春雷(上・下)~十河信二とその時代~という本を読みました。
当時、新幹線は、ほとんどの人が夢物語と思っていたようです。多数派は、建設に否定的だったようです。出来っこないと思っていたようです。完成まで、決して順調な道のりとは言えませんでした。むしろ苦難の連続だったようです。結果的には、戦後の急激な経済成長に伴う輸送手段として絶対必要だった新幹線。歴史は、暗記でもなく、真実を探すことでもなく、ただ、そこに生きた人がいたことを知ること。それが大事だなって感じました。
東海道新幹線を見ていると、今でも十河信二やその仲間の方々が生きているような気がします。そして、今でも日本の将来について、一生懸命に知恵を絞っているような気がします。
小田原に住んだ人々を調べると、大事な生の日本の歴史に触れることができます。
1963年当時の映像があります→https://youtu.be/-tYguw4EFgE
いつもご覧くださりありがとうございます。
小田原に住んだ人たちを調べると、教科書には、載っていませんが、現在の日本を知る手がかりになる方が多いです。その昔、東海道新幹線の実験線が小田原の鴨宮にありました。
十河信二 新幹線の父(鉛筆画)。人物画を描いていると、絵の中の人がまるで、生きているような感覚を覚えます。鉛筆画で描くことで、微妙な濃淡の表現の勉強にもなってます。
不屈の春雷(上・下)~十河信二とその時代~という本を読みました。
当時、新幹線は、ほとんどの人が夢物語と思っていたようです。多数派は、建設に否定的だったようです。出来っこないと思っていたようです。完成まで、決して順調な道のりとは言えませんでした。むしろ苦難の連続だったようです。結果的には、戦後の急激な経済成長に伴う輸送手段として絶対必要だった新幹線。歴史は、暗記でもなく、真実を探すことでもなく、ただ、そこに生きた人がいたことを知ること。それが大事だなって感じました。
東海道新幹線を見ていると、今でも十河信二やその仲間の方々が生きているような気がします。そして、今でも日本の将来について、一生懸命に知恵を絞っているような気がします。
小田原に住んだ人々を調べると、大事な生の日本の歴史に触れることができます。
1963年当時の映像があります→https://youtu.be/-tYguw4EFgE
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タグ:小田原に住んだ人々
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