三輪山から靖国へ [歴史・史跡探訪]
今朝、靖国神社へ行ってきました。
三輪山に登って以来、気になっていました。
宮島(厳島神社・弥山)、奈良(大神神社・三輪山・箸墓・飛鳥)と続いた神社、遺跡めぐりが一区切りついた気がしました。今回はとっても大きな区切りのように想えました。
神社やお寺さん、史跡は、心の準備が整ったら、いつも順序良く、学びの場を与えてくださっているように想えます。
過去は未来を学ぶために残してくれた、大切な手がかり。
アートを通じて、たくさんの感動を伝えていきたいと思いました。
今日も感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
三輪山に登って以来、気になっていました。
宮島(厳島神社・弥山)、奈良(大神神社・三輪山・箸墓・飛鳥)と続いた神社、遺跡めぐりが一区切りついた気がしました。今回はとっても大きな区切りのように想えました。
神社やお寺さん、史跡は、心の準備が整ったら、いつも順序良く、学びの場を与えてくださっているように想えます。
過去は未来を学ぶために残してくれた、大切な手がかり。
アートを通じて、たくさんの感動を伝えていきたいと思いました。
今日も感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
タグ:三輪山から靖国へ
三輪山と奈良いにしえ散歩 [歴史・史跡探訪]
三輪山に登りたくて奈良まで行ってきました。
ついに来ました大神神社です。
大神神社について
遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、 自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおもの ぬしのかみ)【詳しくは(やまとのおおものぬしくしみか たまのみこと)】の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられて おり、我が国最古の神社であります。大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様 として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最 高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。~神社HP~
今日も心を込めてお参りです。
三輪山へは近くの狭井神社で300円を払って入山します。
(写真撮影が禁止されているので写真はありません)
地図がもらえます(全部はスキャンに入りきりませんが、だいだい写っています)。
時間は往復で2時間ほどです。けっこうきついです。
山頂は、見晴しがよいわけではなく、お参りする場所があるだけですが、でも、登ったら気持ちが軽くなりました。心を込めてお参りしてきました。
これは、別の場所の見晴台からの眺め。真ん中に大鳥居が写っています。(小さいかな。近くで見ると大きすぎて写真に納まらなかったので)。
ここから、箸墓古墳に行ってみました。いろいろとお話のある場所を歩いてみたくて。
すぐ近くです(電車で一駅)。
箸墓古墳です。
箸墓古墳について
この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)向きもある。従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にずれがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定を反映して古墳時代の開始年代を従来より早める説が提唱されており、箸墓古墳の築造年代を卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説も出てきている。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。~ウィキペディア~
そして最後は、飛鳥散歩(飛鳥駅まで電車で移動。乗り継ぎで1時間ほどかかったかな)。
ここで、力を発揮したのがレンタサイクル。飛鳥駅前で借りれます。とっても気持ち良かったです。
(5時までですが、3時を過ぎていたので半額の500円でした。ラッキー)
亀石です。とってもかわいい顔をしています。
亀石について
言い伝えによれば、奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果、当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。
亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の海と化す、と伝えられている。~ウィキペディア~
途中この雲が気になったので、撮ってみました。なんか、いいなあ~。
聖徳太子生誕の地の石碑が。この辺りがそうらしい。思わず手を合わせていました。
道を挟んだ向こうの景色がきれいだったので。自転車だと風景と一体になれるのがいいなあ。
そして石舞台古墳。ここまで自転車で30分くらいかな(歩いては絶対ムリな距離)。自転車スゴイ!!そして、とっても風が気持ち良い!!
石舞台古墳について
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定される。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出する。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。~ウキペディア~
一日で全部、行きたいところに周れて、飛鳥駅に戻ってきたら、素敵なお空に。
とっても素敵な一日と奈良に感謝。
今日が素敵な一日でありますように。
ついに来ました大神神社です。
大神神社について
遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、 自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおもの ぬしのかみ)【詳しくは(やまとのおおものぬしくしみか たまのみこと)】の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられて おり、我が国最古の神社であります。大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様 として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最 高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。~神社HP~
今日も心を込めてお参りです。
三輪山へは近くの狭井神社で300円を払って入山します。
(写真撮影が禁止されているので写真はありません)
地図がもらえます(全部はスキャンに入りきりませんが、だいだい写っています)。
時間は往復で2時間ほどです。けっこうきついです。
山頂は、見晴しがよいわけではなく、お参りする場所があるだけですが、でも、登ったら気持ちが軽くなりました。心を込めてお参りしてきました。
これは、別の場所の見晴台からの眺め。真ん中に大鳥居が写っています。(小さいかな。近くで見ると大きすぎて写真に納まらなかったので)。
ここから、箸墓古墳に行ってみました。いろいろとお話のある場所を歩いてみたくて。
すぐ近くです(電車で一駅)。
箸墓古墳です。
箸墓古墳について
この古墳を、『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)向きもある。従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にずれがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近年輪年代法や炭素年代測定法による年代推定を反映して古墳時代の開始年代を従来より早める説が提唱されており、箸墓古墳の築造年代を卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説も出てきている。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母母曾毘売(やまととももそびめ)命である。~ウィキペディア~
そして最後は、飛鳥散歩(飛鳥駅まで電車で移動。乗り継ぎで1時間ほどかかったかな)。
ここで、力を発揮したのがレンタサイクル。飛鳥駅前で借りれます。とっても気持ち良かったです。
(5時までですが、3時を過ぎていたので半額の500円でした。ラッキー)
亀石です。とってもかわいい顔をしています。
亀石について
言い伝えによれば、奈良盆地一帯が湖であった頃、対岸の当麻(たいま)のヘビと川原のナマズの争いの結果、当麻に水を吸い取られ、川原あたりは干上がってしまい、湖の亀はみんな死んでしまった。亀を哀れに思った村人たちは、「亀石」を造って亀の供養をしたという。
亀石は、以前は北を向き、次に東を向いたと言う。そして、今は南西を向いているが、西に向き、当麻のほうを睨みつけると、奈良盆地は一円泥の海と化す、と伝えられている。~ウィキペディア~
途中この雲が気になったので、撮ってみました。なんか、いいなあ~。
聖徳太子生誕の地の石碑が。この辺りがそうらしい。思わず手を合わせていました。
道を挟んだ向こうの景色がきれいだったので。自転車だと風景と一体になれるのがいいなあ。
そして石舞台古墳。ここまで自転車で30分くらいかな(歩いては絶対ムリな距離)。自転車スゴイ!!そして、とっても風が気持ち良い!!
石舞台古墳について
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、奈良県明日香村にある古墳時代後期の古墳。1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定される。元は土を盛りあげて作った墳丘で覆われていたが、その土が失われ、巨大な石を用いた横穴式石室が露出する。埋葬者としては蘇我馬子が有力視されている。~ウキペディア~
一日で全部、行きたいところに周れて、飛鳥駅に戻ってきたら、素敵なお空に。
とっても素敵な一日と奈良に感謝。
今日が素敵な一日でありますように。
宮島に行ってきました。 [歴史・史跡探訪]
宮島に行ってきました。
着いたのは夕暮れ時。厳島神社の鳥居です。きれいです。
夜になってから船で海から。風が心地よかったです。
翌日の朝、鹿さんたちが整列して歩いていました。
朝の鳥居。下まで歩いてくぐってきました。
しばらくすると海水が入ってきました。
お昼頃には満潮に。これもまた素敵です。
光の舞台の向こうに清盛さんがいるように想えました。
弥山にも登ってきました。くぐり岩です。
大きな岩の上のからの日差しが眩しかったです。
弥山の頂上。大きな岩がいっぱいありました。古代遺跡でもあるようです。
天空の神社。御山神社。
厳島神社本社と同じ神様をお祀りしているそうです。
神代の昔、ここに厳島大神が降臨したと伝えられているそうです。
とっても気持ち良くって、何だか嬉しかったです。
日差しが眩しかったです。とっても心が喜んでいました。
帰りに立寄った水族館できれいな風景に出合いました。
宮島に感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
着いたのは夕暮れ時。厳島神社の鳥居です。きれいです。
夜になってから船で海から。風が心地よかったです。
翌日の朝、鹿さんたちが整列して歩いていました。
朝の鳥居。下まで歩いてくぐってきました。
しばらくすると海水が入ってきました。
お昼頃には満潮に。これもまた素敵です。
光の舞台の向こうに清盛さんがいるように想えました。
弥山にも登ってきました。くぐり岩です。
大きな岩の上のからの日差しが眩しかったです。
弥山の頂上。大きな岩がいっぱいありました。古代遺跡でもあるようです。
天空の神社。御山神社。
厳島神社本社と同じ神様をお祀りしているそうです。
神代の昔、ここに厳島大神が降臨したと伝えられているそうです。
とっても気持ち良くって、何だか嬉しかったです。
日差しが眩しかったです。とっても心が喜んでいました。
帰りに立寄った水族館できれいな風景に出合いました。
宮島に感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
タグ:宮島に行ってきました。
江ノ島散歩 [歴史・史跡探訪]
今日は江ノ島の潮風が浮かんだので、行ってきました。
お天気も良くて、やっぱり潮風が心地よかったです。
やっぱり江ノ島はいいなあ。
今日は江ノ島の洞窟(岩屋)にも惹かれたので・・・。
中はひんやりして、とっても気持ちが良かったです。
空海さんもここで修業したそうです。
ここは富士山へ通じるという伝説のある場所。
洞窟の外ではたくさんの人が潮風を満喫していました。
こちらは、お仕事(招き猫)を終えて熟睡中。
素敵な一日に感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
お天気も良くて、やっぱり潮風が心地よかったです。
やっぱり江ノ島はいいなあ。
今日は江ノ島の洞窟(岩屋)にも惹かれたので・・・。
中はひんやりして、とっても気持ちが良かったです。
空海さんもここで修業したそうです。
ここは富士山へ通じるという伝説のある場所。
洞窟の外ではたくさんの人が潮風を満喫していました。
こちらは、お仕事(招き猫)を終えて熟睡中。
素敵な一日に感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
タグ:江ノ島散歩
源義経公を訪ねて~藤沢、白旗神社~ [歴史・史跡探訪]
今日は、藤沢にある、白旗神社へ源義経公を訪ねて、お参りに行ってきました。
素敵な神社でした。
なんとなく寒川神社と似てるなって感じました(やっぱり関係はありました)。
神社について~神社HP~
御祭神
天照皇大神 あまてらすおおみかみ
大国主命 おおくにぬしのみこと
大山祇命 おおやまつみのみこと
国狭槌命 くにさつちのみこと
日本武尊 やまとたけるのみこと
白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました。
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。
真ん中の太陽に輝く金色の光が眩しくて。
義経公に心を込めてお礼とお参りを。時代を繋いでくださってありがとうございます。感謝。
青空がきれいだったので、もう一枚。
このあと、感謝の気持ちで辺りをお散歩して帰りました(今日はもう一つあります。帰りに大磯で下りて高来≪たかく≫神社にいきました)。
今日は素敵なことがありました。小田急線藤沢本町駅に降りて、看板の地図に伊勢山公園というのを見つけて気になって行ってみました。坂に惹かれ登ったら桜の名所の公園でした。
何となく名前から、ここは神社かお寺さんがあったのかなって感じて(軍人さんの慰霊碑があったり、江ノ島が見える展望台があったり)、いつもの感覚でお参りをして、辺りをお散歩していたら、急につむじ風が起こって、桜の花びらが、舞いあがり、桜吹雪と一緒になって、ピンクのカーテンに包まれた感じになりました。とっても嬉しかったです。感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
素敵な神社でした。
なんとなく寒川神社と似てるなって感じました(やっぱり関係はありました)。
神社について~神社HP~
御祭神
天照皇大神 あまてらすおおみかみ
大国主命 おおくにぬしのみこと
大山祇命 おおやまつみのみこと
国狭槌命 くにさつちのみこと
日本武尊 やまとたけるのみこと
白旗神社がいつごろできたのかは定かではありませんが、鎌倉時代より以前から、相模国(神奈川県あたり)にある寒川神社の神様・寒川比古命をお祀りして、同じ名前の寒川神社と呼ばれていました。
文治5年(1189)閏4月30日、源義経公は兄源頼朝から怒りをかい、追い詰められ、奥州(岩手県)平泉の衣川館において自害されました。その首は奥州から新田冠者高平(にったかじゃたかひら)という者によって鎌倉に送られました。高平が、腰越の宿(鎌倉市)に到着すると、そこで和田義盛・梶原景時によって義経かどうか確認されました。伝承では、弁慶の首も同時に送られ、夜の間に二つの首は、白旗川を上り、この地に辿り着いたといわれています。
このことを頼朝に伝えると、白旗が源氏の旗であったことから、白旗明神としてこの神社に祀るようにと指示しました。こうして義経公を神様として祀ることとなり、のちに白旗神社と呼ばれるようになりました。弁慶の首は、白旗神社のそばに八王子社として祀られることになりました。
真ん中の太陽に輝く金色の光が眩しくて。
義経公に心を込めてお礼とお参りを。時代を繋いでくださってありがとうございます。感謝。
青空がきれいだったので、もう一枚。
このあと、感謝の気持ちで辺りをお散歩して帰りました(今日はもう一つあります。帰りに大磯で下りて高来≪たかく≫神社にいきました)。
今日は素敵なことがありました。小田急線藤沢本町駅に降りて、看板の地図に伊勢山公園というのを見つけて気になって行ってみました。坂に惹かれ登ったら桜の名所の公園でした。
何となく名前から、ここは神社かお寺さんがあったのかなって感じて(軍人さんの慰霊碑があったり、江ノ島が見える展望台があったり)、いつもの感覚でお参りをして、辺りをお散歩していたら、急につむじ風が起こって、桜の花びらが、舞いあがり、桜吹雪と一緒になって、ピンクのカーテンに包まれた感じになりました。とっても嬉しかったです。感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
鶴岡八幡宮~頼朝公を訪ねて~ [歴史・史跡探訪]
今日は源頼朝公のゆかりのある鎌倉、鶴岡八幡宮の近辺を歩いてみました。
青空に映える赤い建物、鶴岡八幡宮。やっぱり素敵です。
舞殿から本宮に向かって。
神社へと続く若宮大路の桜もきれいでした。のんびりと歩いてきました。
今日は鳶さんが道案内をしてくれました。
以前、強風で倒れた大イチョウの木は、再生をかけて隣の場所に移動していました。
階段を上ると、素敵な景色でした。
こちらは境内にある白幡神社。頼朝公がお祀りされています。
今日は頼朝公にゆかりの場所を巡りたいと思って鎌倉に来ました。
いつもとは違う雰囲気を感じました。
この辺りから、先ほどと空気が変わって、風がとってもやさしく感じました。
ここから、頼朝公のお墓のある法華堂跡と白幡神社へ歩いてみました。
こんな桜吹雪舞う小路をてくてく歩いて。
ここが頼朝公のお墓の入口にある白幡神社です。
心を込めてお参りと、この場所に来れたことへのお礼を。
この階段を上った先に頼朝公のお墓と法華堂跡がありました(写真は階段だけしか撮りませんでした)。
今日はこの場所に惹かれて、来ました。この後、鎌倉宮まで歩いてお参りをして帰ってきました。
今日は道中、とってもやさしい風をずっと感じていました。そして桜の花びらと鳶さんに案内して
もらってのんびりと歩くことができました(のんびりしすぎて、写真はあんまり撮りませんでした)。
素敵な一日に感謝です。
今日が素敵な一日でありますように。
青空に映える赤い建物、鶴岡八幡宮。やっぱり素敵です。
舞殿から本宮に向かって。
神社へと続く若宮大路の桜もきれいでした。のんびりと歩いてきました。
今日は鳶さんが道案内をしてくれました。
以前、強風で倒れた大イチョウの木は、再生をかけて隣の場所に移動していました。
階段を上ると、素敵な景色でした。
こちらは境内にある白幡神社。頼朝公がお祀りされています。
今日は頼朝公にゆかりの場所を巡りたいと思って鎌倉に来ました。
いつもとは違う雰囲気を感じました。
この辺りから、先ほどと空気が変わって、風がとってもやさしく感じました。
ここから、頼朝公のお墓のある法華堂跡と白幡神社へ歩いてみました。
こんな桜吹雪舞う小路をてくてく歩いて。
ここが頼朝公のお墓の入口にある白幡神社です。
心を込めてお参りと、この場所に来れたことへのお礼を。
この階段を上った先に頼朝公のお墓と法華堂跡がありました(写真は階段だけしか撮りませんでした)。
今日はこの場所に惹かれて、来ました。この後、鎌倉宮まで歩いてお参りをして帰ってきました。
今日は道中、とってもやさしい風をずっと感じていました。そして桜の花びらと鳶さんに案内して
もらってのんびりと歩くことができました(のんびりしすぎて、写真はあんまり撮りませんでした)。
素敵な一日に感謝です。
今日が素敵な一日でありますように。
桜色のせせらぎに誘われて~三嶋大社・楽寿園・柿田川湧水~ [歴史・史跡探訪]
今日は、桜を観に三嶋大社・楽寿園・柿田川湧水と三つの場所を巡ってきました。
(今日は長くなりますが、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いいたします)。
三嶋大社は、正面も大きな鳥居もありますが、私はいつもここから入ります。
祓所の神様、水の街、三嶋にふさわしい水の女神様です。
三嶋大社について~神社HP~
御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
御祭神は大山祇命[おおやまつみのみこと]
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]
御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
境内に入ると桜がきれいでした。
こちらは舞殿です。素敵です。
こちらが御本殿です。心を込めてお参りしてきました。
今日は、こちらの若宮神社にとっても惹かれました。応神天皇と神功皇后がお祀りされています。
境内はたくさんの桜が咲いていました。静岡は少し小田原よりも早いみたいです。
赤い厳島神社と桜がとっても素敵でした。
池の水に映る桜がとってもきれいでした。
枝垂れ桜がとっても素敵な場所でもあります。
いつも、ここに来たら、福太郎とお茶のセットをいただきます(今日もおいしかったです)。
そして、ここが正面の鳥居になります。
次は三嶋大社から歩いて5分程の楽寿園へ。
ここが入口です。
~楽寿園は案内パンフレットによると、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が、
明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年7月15日から市立公園として
三島市が管理していますとのこと。近年湧水は減少していますが、小浜池やせり瀬などの
天然池泉に富士山の雪解け水が湧きだす景観にはすばらしいものがあり、この湧水と周囲
の自然林からなる庭園は昭和29年3月20日付けで国の天然記念物及び名勝に指定された
とのこと~
四季折々の表情がとっても素敵な場所です。
実はこの広瀬神社に誘われてきました。小さな小さなお社です。
名前以外の看板はありませんが、素敵な神社です。
この場所が大好きです。
じつはこの辺りは富士山の湧水が出ているところですが、一年中は水はありません。
多い時は2m近くになりますが、今はこんな感じです(昔はずっと満水だったそうです)。
さて、次は三島駅に戻り、バスで15分ほどの柿田川湧水へ。
不思議と今日は三島に来てから全て待ち時間なしです。
まずは水の神様、貴船神社へお参り。
以前来た時と違い、とってもきれいで、素敵に変わられていてびっくりしました。感動です。
一礼して奥へ進み、今日も心を込めてお参り。
説明書きですが、ピカピカ過ぎて私が反射して写っています。
柿田川湧水について~清水町商工会HP~
誕生は約八千五百年前。また、この柿田川湧水群は、環境庁「名 水百選」「二一世紀に残したい日本の自然百選」に認定されています。豊富な水量に加え、年間一五度前後の一定した水温、そのまま飲める水質。その清流域で 営まれる生態系が一つとなって豊かな自然を創りだしています。ミシマバイカモ、クレソンなど15科21種の水生植物と、流域周辺で見られる94科281種 類の陸上生物。アユ、アマゴなどの魚類・甲殻類。アオハダトンボ、ゲンジボタル、などの昆虫。カワセミ、ヤマセミなどの鳥類。哺乳類、両生類も含め優れた 自然条件にしか育たない貴重な種も多いとされ、トンボ15種など小動物が環境庁から「ふるさといきものの里」の認定を受けています。高度経済成長の時代を 通り抜け多くの自然が失われた今日、こんな貴重な自然が身近にあることを心から感謝したいと思います。 出典 清水町 「柿田川」パンフレット」
こちらが第一展望台からみた湧水。富士山からの湧水で水量は東洋一だそうです。
こちらが第二展望台からみた湧水。まるで地球のようです。
こちらにも、なんとなくハートマークのような光が。
こちらは、場所を変えて水辺の景色を。とってもきれいな場所です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。
最後に、地球の光をお届けしますね。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
(今日は長くなりますが、どうぞお付き合いのほど、よろしくお願いいたします)。
三嶋大社は、正面も大きな鳥居もありますが、私はいつもここから入ります。
祓所の神様、水の街、三嶋にふさわしい水の女神様です。
三嶋大社について~神社HP~
御創建の時期は不明ですが、古くより三島の地に御鎮座し、奈良・平安時代の古書にも記録が残ります。三嶋神は東海随一の神格と考えられ、平安時代中期「延喜の制」では、「名神大」に列格されました。社名・神名の「三嶋」は、地名ともなりました。中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願しました。神助を得てこれが成功するや、社領神宝を寄せ益々崇敬することとなりました。この神宝の中でも、頼朝の妻、北条政子の奉納と伝えられる 国宝「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具」は、当時の最高技術を結集させたものとして知られています。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。その後、明治4年の近代の社格制度では、官幣大社に列せられています。又、平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。
御祭神は大山祇命[おおやまつみのみこと]
積羽八重事代主神[つみはやえことしろぬしのかみ]
御二柱の神を総じて三嶋大明神[みしまだいみょうじん]と称しています。
大山祇命は山森農産の守護神、また事代主神は俗に恵比寿様とも称され、福徳の神として商・工・漁業者の厚い崇敬をうけます。
境内に入ると桜がきれいでした。
こちらは舞殿です。素敵です。
こちらが御本殿です。心を込めてお参りしてきました。
今日は、こちらの若宮神社にとっても惹かれました。応神天皇と神功皇后がお祀りされています。
境内はたくさんの桜が咲いていました。静岡は少し小田原よりも早いみたいです。
赤い厳島神社と桜がとっても素敵でした。
池の水に映る桜がとってもきれいでした。
枝垂れ桜がとっても素敵な場所でもあります。
いつも、ここに来たら、福太郎とお茶のセットをいただきます(今日もおいしかったです)。
そして、ここが正面の鳥居になります。
次は三嶋大社から歩いて5分程の楽寿園へ。
ここが入口です。
~楽寿園は案内パンフレットによると、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が、
明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年7月15日から市立公園として
三島市が管理していますとのこと。近年湧水は減少していますが、小浜池やせり瀬などの
天然池泉に富士山の雪解け水が湧きだす景観にはすばらしいものがあり、この湧水と周囲
の自然林からなる庭園は昭和29年3月20日付けで国の天然記念物及び名勝に指定された
とのこと~
四季折々の表情がとっても素敵な場所です。
実はこの広瀬神社に誘われてきました。小さな小さなお社です。
名前以外の看板はありませんが、素敵な神社です。
この場所が大好きです。
じつはこの辺りは富士山の湧水が出ているところですが、一年中は水はありません。
多い時は2m近くになりますが、今はこんな感じです(昔はずっと満水だったそうです)。
さて、次は三島駅に戻り、バスで15分ほどの柿田川湧水へ。
不思議と今日は三島に来てから全て待ち時間なしです。
まずは水の神様、貴船神社へお参り。
以前来た時と違い、とってもきれいで、素敵に変わられていてびっくりしました。感動です。
一礼して奥へ進み、今日も心を込めてお参り。
説明書きですが、ピカピカ過ぎて私が反射して写っています。
柿田川湧水について~清水町商工会HP~
誕生は約八千五百年前。また、この柿田川湧水群は、環境庁「名 水百選」「二一世紀に残したい日本の自然百選」に認定されています。豊富な水量に加え、年間一五度前後の一定した水温、そのまま飲める水質。その清流域で 営まれる生態系が一つとなって豊かな自然を創りだしています。ミシマバイカモ、クレソンなど15科21種の水生植物と、流域周辺で見られる94科281種 類の陸上生物。アユ、アマゴなどの魚類・甲殻類。アオハダトンボ、ゲンジボタル、などの昆虫。カワセミ、ヤマセミなどの鳥類。哺乳類、両生類も含め優れた 自然条件にしか育たない貴重な種も多いとされ、トンボ15種など小動物が環境庁から「ふるさといきものの里」の認定を受けています。高度経済成長の時代を 通り抜け多くの自然が失われた今日、こんな貴重な自然が身近にあることを心から感謝したいと思います。 出典 清水町 「柿田川」パンフレット」
こちらが第一展望台からみた湧水。富士山からの湧水で水量は東洋一だそうです。
こちらが第二展望台からみた湧水。まるで地球のようです。
こちらにも、なんとなくハートマークのような光が。
こちらは、場所を変えて水辺の景色を。とってもきれいな場所です。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございます。
最後に、地球の光をお届けしますね。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
満開、松田山 [歴史・史跡探訪]
今日は松田山の河津桜が満開だと聞いて、出かけてみました。
満開でした。
お天気もよく眺めも素敵でした。
多くの人で賑わっていました。
さて、ここから歩いて1時間ちょっとの最明寺史跡に行ってみました。けっこうな坂道を歩きます。
前回、松田山に来た時に気になっていたのと、今日、新松田の駅から、この雲の方向が気になって登ってみました。
最明寺史跡に到着。結構きつかったです。
神奈川県のHPによると~承久3年(1221年)浄連上人(源延)は、夢のお告げを受けて信州善光寺の一光三尊の仏を模写し金銅の仏像を鋳させ松田山頂に安置しました。年々一堂一宇を建立し盛大となりますが、室町時代の兵乱相続き、そのため衰えました。
文明2年(1470年)鎌倉の八正寺の尊賢親王は最明寺の衰えたのを嘆いて弟子の賢昌に命じて最明寺の復興を計画しましたが、人家に遠く山道険しく人馬ともに困難であるため、寺を金子郷(現:大井町金子)に移転されたといわれています~
護摩堂跡だそうです。
更に山の方へ行くと、紀友則さん、西行さんの歌碑がありました。
こんなに富士山が大きく見える場所も。人はだれもいませんでした。
山のてっぺんは尾根伝いの古道(こういう場所、歩くの好きです。でも行くのが大変)。
ヤマトタケルノミコト様のお話に出てきそうな道です。
帰りは来た道を戻り、また松田山の河津桜のところへ。こんな機関車も走っています。
松田山にお礼を行って帰宅しました。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように
満開でした。
お天気もよく眺めも素敵でした。
多くの人で賑わっていました。
さて、ここから歩いて1時間ちょっとの最明寺史跡に行ってみました。けっこうな坂道を歩きます。
前回、松田山に来た時に気になっていたのと、今日、新松田の駅から、この雲の方向が気になって登ってみました。
最明寺史跡に到着。結構きつかったです。
神奈川県のHPによると~承久3年(1221年)浄連上人(源延)は、夢のお告げを受けて信州善光寺の一光三尊の仏を模写し金銅の仏像を鋳させ松田山頂に安置しました。年々一堂一宇を建立し盛大となりますが、室町時代の兵乱相続き、そのため衰えました。
文明2年(1470年)鎌倉の八正寺の尊賢親王は最明寺の衰えたのを嘆いて弟子の賢昌に命じて最明寺の復興を計画しましたが、人家に遠く山道険しく人馬ともに困難であるため、寺を金子郷(現:大井町金子)に移転されたといわれています~
護摩堂跡だそうです。
更に山の方へ行くと、紀友則さん、西行さんの歌碑がありました。
こんなに富士山が大きく見える場所も。人はだれもいませんでした。
山のてっぺんは尾根伝いの古道(こういう場所、歩くの好きです。でも行くのが大変)。
ヤマトタケルノミコト様のお話に出てきそうな道です。
帰りは来た道を戻り、また松田山の河津桜のところへ。こんな機関車も走っています。
松田山にお礼を行って帰宅しました。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように
久能山からの便り [歴史・史跡探訪]
先日、久能山東照宮(徳川家康公が眠っていらっしゃる場所です)で案内していただいた
ボランティアガイドさんにお礼の手紙とこの写真を含め数枚の写真をお送りしたところ、
お返事をいただきました。
3月11日に手紙と写真が届いたそうです。ガイドさんを通じて社務所の方々も見て下さったそうで、
見てびっくりされていたとのことでした。自分でもとっても不思議だけど、何か温かいものを感じる
写真でした。そして社務所の方々から、久能山東照宮をブログで紹介させていただいたことにお礼
をいただきました。
こちらこそ、感謝です。それから、これからも、参拝者の皆さまに歴史の重みと、奥の深さや感動を
届けますとのお言葉をいただきました。本当に、素敵なご縁に感謝です。ありがとうございます。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
ボランティアガイドさんにお礼の手紙とこの写真を含め数枚の写真をお送りしたところ、
お返事をいただきました。
3月11日に手紙と写真が届いたそうです。ガイドさんを通じて社務所の方々も見て下さったそうで、
見てびっくりされていたとのことでした。自分でもとっても不思議だけど、何か温かいものを感じる
写真でした。そして社務所の方々から、久能山東照宮をブログで紹介させていただいたことにお礼
をいただきました。
こちらこそ、感謝です。それから、これからも、参拝者の皆さまに歴史の重みと、奥の深さや感動を
届けますとのお言葉をいただきました。本当に、素敵なご縁に感謝です。ありがとうございます。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
タグ:久能山からの便り
久能山東照宮 [歴史・史跡探訪]
静岡にある久能山東照宮に行ってきました(徳川家康公が眠っていらっしゃる場所です)。
昨年、塔の絵を描いた時に、この場所が浮かんで気になって、ようやく行くことができました。
久能山には10年ぶりにきました。10年ほど前に、この場所を案内してくださった方がいて、
今回この場所が、心に浮かび、来ることができました。
この場所は神社のHPによると~ご幼少の頃からのあらゆる艱難辛苦を払いのけ、遂には天下を統一し征夷大将軍の座に就かれた徳川家康公は、日本史上最も平和な時代を築かれたお方です。晩年を静岡で過ごされた家康公は遺命として久能山に眠ることを家臣に託し、元和2年(1616年)4月17日に神々の世界へと旅立たれました。徳川家康公を祀る全国初の神社、それが久能山東照宮です。当時の最高の技術と芸術をもってして造営された社殿は、平成22年12月に国宝指定されました~。
御祭神 徳川家康公 相殿 豊臣秀吉公 織田信長公
楼門です(ロープウエイでこのあたりまでこれますが、下から登ると1000段以上の階段です)。
きれいな門です。
家康公の手形がありました。
この鳥居をくぐると、左に五重の塔があったそうです。ボランティアの方の説明によると、明治の神仏分離令で、競売にかけられ木材として売られてしまったとのことでした。実は、絵に出てきた塔はこの場所のような気がしてこちらに来るご縁になりました。
この絵です。3重の塔のつもりで描きましたが、どうも下の部分がうまく描けず、高さも高く、何となくもっと高い塔ではと思って、この場所が浮かびました。
唐門です。とってもきれいです。見事です。
国宝の社殿です(社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続した「権現造」(ゴンゲンヅクリ)であり、当時最高の建築技術・芸術が結集されています。神社建築における権現造の様式は久能山東照宮の造営によって確立され、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされました)~神社HP~。
彫刻がすごくて見とれてしまいました。
この場所で、ピンク色のきれな光が写りました。とっても眩しくて、どうやっても、光しか映りませんでした。何となく背の高い、お侍さんのような気もします。
こちらは、何となく葵の御紋のような気がします。
龍神さんと鳳凰さんの横から、迫力のある炎のような光も。
本殿を横から。とっても素敵です。 家康公とともに、秀吉公、信長公がお祀りされているとのことです。そしてこの先からは、家康公のお墓のある神廟へと続く階段になります。
鳥居をくぐり、階段を上ります。
ここが、、家康公のお墓です。日本のお父さんにたくさんのお礼を言いたくて、この場所にきました。
そして、たくさんの光が降りそそぎますようにとお参りもして。
最後に、本当は下から登ってくるとこんな風景です。急な坂道ですが、とっても素敵な場所にあります。
そして、一ノ門があります。
この場所に来れたことに感謝。そして丁寧に説明をしてくださったボランティアの方にも感謝です。
今日は長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
昨年、塔の絵を描いた時に、この場所が浮かんで気になって、ようやく行くことができました。
久能山には10年ぶりにきました。10年ほど前に、この場所を案内してくださった方がいて、
今回この場所が、心に浮かび、来ることができました。
この場所は神社のHPによると~ご幼少の頃からのあらゆる艱難辛苦を払いのけ、遂には天下を統一し征夷大将軍の座に就かれた徳川家康公は、日本史上最も平和な時代を築かれたお方です。晩年を静岡で過ごされた家康公は遺命として久能山に眠ることを家臣に託し、元和2年(1616年)4月17日に神々の世界へと旅立たれました。徳川家康公を祀る全国初の神社、それが久能山東照宮です。当時の最高の技術と芸術をもってして造営された社殿は、平成22年12月に国宝指定されました~。
御祭神 徳川家康公 相殿 豊臣秀吉公 織田信長公
楼門です(ロープウエイでこのあたりまでこれますが、下から登ると1000段以上の階段です)。
きれいな門です。
家康公の手形がありました。
この鳥居をくぐると、左に五重の塔があったそうです。ボランティアの方の説明によると、明治の神仏分離令で、競売にかけられ木材として売られてしまったとのことでした。実は、絵に出てきた塔はこの場所のような気がしてこちらに来るご縁になりました。
この絵です。3重の塔のつもりで描きましたが、どうも下の部分がうまく描けず、高さも高く、何となくもっと高い塔ではと思って、この場所が浮かびました。
唐門です。とってもきれいです。見事です。
国宝の社殿です(社殿の様式は本殿・拝殿を石の間で接続した「権現造」(ゴンゲンヅクリ)であり、当時最高の建築技術・芸術が結集されています。神社建築における権現造の様式は久能山東照宮の造営によって確立され、日光東照宮を始め全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされました)~神社HP~。
彫刻がすごくて見とれてしまいました。
この場所で、ピンク色のきれな光が写りました。とっても眩しくて、どうやっても、光しか映りませんでした。何となく背の高い、お侍さんのような気もします。
こちらは、何となく葵の御紋のような気がします。
龍神さんと鳳凰さんの横から、迫力のある炎のような光も。
本殿を横から。とっても素敵です。 家康公とともに、秀吉公、信長公がお祀りされているとのことです。そしてこの先からは、家康公のお墓のある神廟へと続く階段になります。
鳥居をくぐり、階段を上ります。
ここが、、家康公のお墓です。日本のお父さんにたくさんのお礼を言いたくて、この場所にきました。
そして、たくさんの光が降りそそぎますようにとお参りもして。
最後に、本当は下から登ってくるとこんな風景です。急な坂道ですが、とっても素敵な場所にあります。
そして、一ノ門があります。
この場所に来れたことに感謝。そして丁寧に説明をしてくださったボランティアの方にも感謝です。
今日は長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
タグ:久能山東照宮