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坂の上の雲 [小田原散歩~文化財・史跡編]

今日、小田原の古稀庵まで散歩に行ってきました(^^♪
(小田原の明治・大正・昭和初期の歴史は、新たなブログを開設して書いていく予定です)
山縣有朋pasteloflight.jpg
今、明治・大正に小田原に住んだ著名人の肖像画を描いてます。
(肖像画は山縣有朋です)
100人以上の方々がいるので、根気よく描いていくつもりです。
できるだけ、その人にかかわる本を読みながら描いています。

小田原にある明治・大正の歴史は、小田原にとってだけでなく、日本にとっても大事な歴史と改めて実感しています。
おそらく、ここに来なければ知ることはないけど、今の日本を形成した足元を知るためには、とても大事な場所です。

山縣有朋古稀庵.jpg
この坂の上に、元老山縣有朋が晩年を過ごし生涯を終えた古稀庵があります(右の門の所で庭園のみ現存)。坂の突き当りは、のちに古稀庵に編入され、建物も現存する皆春荘ですが、5月まで改修中。

歴代首相他、政府の要人が多数、この坂を上ってやってきました。
原敬、大隈重信、西園寺公望、寺内正毅といった教科書にも出てくる首相経験者はじめ、他多数の政府関係者、著名人、そして大正天皇も皇太子時代に訪れています。この場所で、日本が動いていました。

特に当時は、総理大臣は、元老の助言がないと決めれませんでした。法律に記載はありませんが、慣例としてそうなっていました。天皇に任命責任が及ばぬようにということのようです。なので、当時70歳を過ぎていても、必然的に元老、山縣の所にやってきます。しかし、第一次世界大戦後の世界情勢の急激な変化の最中、大正11年2月1日に、山縣は、この場所で生涯を終え、側近の方々や奥様に見送られ、愛用の車でここを出て東京に向かったといわれています。

今日のブログのタイトルを「坂の上の雲」にしたもう一つの理由は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公秋山真之が、まさしく、この坂の上を上り山縣に国防論で相談に来ていたさなか、体調を崩し、この下の友人の別荘で療養するもこの地、小田原で生涯を終えたからです。

そして、今日散歩して感じたのは、坂の上の雲にあったものとは、昭和20年8月15日だったような気がしました。ここ小田原に集まった人々の歴史を紐解くと日本の近現代の歴史が見えてきます。


今、アートを通して、小田原から日本の歴史を描くことが、私の生涯の仕事と感じています。当時の人が生きた証を表現できればと思ってます。うまくは言えませんが、その先に大事な宇宙があるような気がしています。肖像画と同時にまたパステル画も描いていきますよ(^^♪


そのためには、まだまだ学ばなければならないことはたくさんありますが、自分なりに地道にやっていこうと思っています。

そして、お店を再開して、訪れた方々からのお言葉が、温かくてありがたかったです。本当に感謝です。

皆様も、大変だとは思いますが、コロナ収束まで、無理をなさらずにお体を大事にお過ごしください。

長くなりましたが、いつもご覧いただき、ありがとうございます。


タグ:坂の上の雲
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