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小田原まちあるき博覧会(^^♪ [小田原散歩~文化財・史跡編]

少し前の話ですが、4月26日(金)に小田原まちあるき博覧会2019~小田原のパワースポットをめぐる昔旅に参加してきました(^^♪コースは、小田原駅→城山城源寺→大稲荷神社→旧小田原少年院→大雄山緑町駅→寺町・長安寺→大長院→北条氏政・氏照の墓→小田原駅東口でした(^^♪

このコースは、まさしく先日、平野ノラさんとジローラモさんに遭遇したあたりで、名所についてなんにもお答えできなかった場所です(^^♪

ちなみに、このまちあるき博覧会2019は、3月から4月まで開催されていて、小田原の様々な名所を案内してもらえるというイベントです(^^♪NPO法人小田原まちづくり応援団の方々が、丁寧に案内してくださいました(^^♪

城山城源寺は、北条氏以前の小田原城主だった、大森氏の城があった場所ではないかと言われているそうで、石碑もありました。初めて知りました(^^♪また、お寺さんも素敵な場所で、中は、まるで美術館のようでした(^^♪あと、このあたりに昔、競馬場があったことも驚きでした(^^♪
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このまちあるきの素敵なところは、実際に、いくつかの建物の中に入れていただけたり、また、お寺や神社の方から直接お話しを聞けたりします(^^♪


大稲荷神社では、直接、宮司さんがお話ししてくださいました(^^♪大稲荷の大は、江戸時代の小田原藩主の大久保氏の大からきているというのも驚きでした(^^♪本殿をはじめ立派な彫刻についてもお話ししてくださいました(^^♪
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お隣の高長寺は、明治の作家、北村透谷のお墓があるお寺です。
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高長寺は、明治時代に横浜監獄小田原分署幼年監が設置された際に、用地内にあった後北条氏にゆかりのある高源院と現在地にあった長吉寺が合併され、それぞれの頭文字を取って高長寺と名付けられたものだそうです。明治の文学者北村透谷や文政年間に日本最後の公許による仇討ちを果たした浅田兄弟の兄・鉄蔵の墓があるとの説明もしてくださいました。
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日本最後の仇討ち(公許)というのも驚きです!!

この踏切で、平野ノラさんとジローラモさんに出会いました(^^♪
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実は、この場所、知る人ぞ知る、小田急、東海道新幹線、東海道線、大雄山線の四つの路線が一度に見渡せる場所です(^^♪


そして、ここが小田原少年院です。2019年4月1日で閉庁され、現在は使用されていません。
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高源院があった場所です。


その先に、大雄山線の緑町駅があります。
大雄山線は、大雄山最乗寺に参拝に行くために計画された路線です。1925年の開業時、小田原駅までつながっていなかったらしく、仮小田原駅(新小田原駅ができたら名称変更で相模広小路駅)があって、その後、新小田原駅ができて、最終的に今の小田原駅に繋がって、先の二つの駅は、無くなり、緑町駅が出来たとのことでした。初めて知りました(^^♪
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その後は、寺町を歩き、長安寺まで♪寺町とは、名前のとおり、お寺さんがたくさんある所です(^^♪
このあたりは、江戸・明治の頃、芝居小屋があったらしく、たいそう賑わっていたそうです(^^♪いろいろと興味深いお話しを説明してくださいました(^^♪近くのお菓子屋さんも芝居小屋があったので、小屋に届けるためにあったと聞きました。初めて知ることばかりでした(^^♪

そして、長安寺へ(^^♪
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小田原市のHPにも詳しく載っていました(^^♪~長安寺について~関東の女歌舞伎の開祖ともいえる桐家は、桐大内蔵を名乗る江戸の桐家と、桐尾上を名乗る小田原の桐家とがあって、それぞれ桐座という劇場を持っていましたが、古くから別の家系でした。しかし、両家の交流は深く、寛文年間(1661〜1672)に江戸木挽町で合同興行した、などの記録もあります。

小田原地方では、元禄16年(1703)11月22日夜大地震に襲われ、大きな被害を受けていますが、この時桐大内蔵が倒れてきた棒に当たって死亡した、と記録があります。この桐大内蔵は江戸の初代桐大内蔵ではないかと考えられます。
小田原の桐尾上は、小田原北条氏時代から舞太夫職を勤めた古流舞の大橋家から江戸時代に分家し、興行を続けていましたが、明治初期廃業しました。劇場の桐座は、地元有志の努力もあって明治後期まで残っていました。なお、江戸の桐大内蔵の墓が大橋家の墓所の中にあるのは興味深いことです。お墓の案内表示は、知っていましたが、どんな人だったのかは、初めて知りました(^^♪


その後に、大長院に伺い、院内を見学し、美味しいお茶とお菓子を頂きながら、有意義なお話しをしていただきました(^^♪
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素敵な絵や彫刻が飾ってありました(^^♪早川の久翁寺の末寺になるとのご説明でした。時々、そのあたりをお散歩しています(^^♪


最後に、北条氏政・氏照のお墓に行きました(^^♪小田原駅のすぐ近くです。幸せの鈴で有名な名所です(^^♪
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豊臣秀吉に小田原城を明け渡し、氏政、その弟氏照の両人は責任を負って自刃しました。秀吉との長引く攻防戦の中、戦禍にまみえる領民を思っての決断だったようです。幸せの鈴は知っていましたが、その名の由来は、初めて知りました。領民を思う領主の優しい心から来ていました(^^♪
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最後に幸せの鈴を頂きました(^^♪
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願いが叶ったら、お礼がてら結びに来てくださいとのことでした(^^♪

他にも、小田原のお寺は、小田原城を守る要塞の役割を果たしていたことや、鎌倉の北条氏の家紋が正三角形に対しに小田原北条氏は、二等辺三角形との説明も聞きました。
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ちなみに正三角形で波があるのは、江の島の弁天様とのことでした(^^♪
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この旗が、そうです(^^♪

内容の濃い一日でした(^^♪大人として生の歴史を知ることは、これからを生きる糧になると感じました(^^♪感謝と感動の一日でした(^^♪もっともっと小田原のことを勉強しようと思いました(^^♪

いつもご覧いただきありがとうございます(^^♪

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