赤い鳥居と富士山に会いたくて~浅間大社~ [歴史・史跡探訪]
今日は赤い鳥居と富士山に会いたくて、浅間(せんげん)大社に行ってきました。
前回は曇りで富士山が見えませんでしたが、今日はバッチリ見えました。
一の鳥居と富士山。やっぱり素敵です。感動。
二の鳥居と富士山。ちょっとお日様に雲がかかってきましたが、でも、素敵です。
日差しも戻り、心を込めてお参りしてきました。
今日も本殿の後ろにある広大な杜の周りを散歩してきました。
廃仏毀釈で失われたであろう建造物の土台らしきものをいくつか眺めて。
坂道を古いお城の跡を散歩しているような感じでした。
遠い昔から、たくさんの人々が祈りを捧げてきたこの場所に感謝。
ありがとうございます。
素敵な一日に感謝です。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
前回は曇りで富士山が見えませんでしたが、今日はバッチリ見えました。
一の鳥居と富士山。やっぱり素敵です。感動。
二の鳥居と富士山。ちょっとお日様に雲がかかってきましたが、でも、素敵です。
日差しも戻り、心を込めてお参りしてきました。
今日も本殿の後ろにある広大な杜の周りを散歩してきました。
廃仏毀釈で失われたであろう建造物の土台らしきものをいくつか眺めて。
坂道を古いお城の跡を散歩しているような感じでした。
遠い昔から、たくさんの人々が祈りを捧げてきたこの場所に感謝。
ありがとうございます。
素敵な一日に感謝です。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
呉羽(くれは)の丘 [歴史・史跡探訪]
急用で昨年と同じく11月に富山に行くこととなりました。
実は昨年、目的地に向かう途中のバスの中から、きれいな山々(呉羽山)に見とれていたら、
皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)の看板に出会い、お参りするご縁がありました。
(名前と富山にあることは聞いたことはありましたが、場所はよく分りませんでした)
先日、テレビで呉羽山が出ていて、今年は行きたいけど、ちょっと無理かなと思っていたら、
今年も、突然の急用で富山へ。昨年から今年一年間の感謝の気持ちをお伝えするために、
今年もお参りをしてきました。
富山へは、小田原から東海道新幹線で米原を経由し、金沢を通り富山へ、
そして帰りは、新潟方面から高崎、東京を経由して小田原まで、ぐるっと一周してきました。
行きの東海道新幹線から富士山がきれいに見えました。嬉しかったです。
そして、米原で特急しらさぎ号に乗り換え、白山のある石川県を通り富山へ。
皇祖皇太神宮ある、御皇城山(おみじんやま)の登り口付近です。剣岳がきれいに見えていました。
鳥居へと続く素敵な階段。
ここに来ると安らぎと同時にとても気持ちが引き締まります。
こちらは歴代の天皇と皇后をお祀りしていらっしゃるそうです。
神武天皇よりも古く、読み方も難解でいらっしゃる方々のお名前が書いてあります。
(ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この場所については、いろいろな事が云われております。
興味のある方は調べてみて下さいね)
とても、この土地・場所に惹かれました。そして神聖な場所というのが一番の印象です。
昨年と今年一年のお礼とたくさんの人に愛と感謝の光が降りそそぎますよう、心を込めてお参りをしてきました。(こちらのお参りは四度拝八平手、一度拝です。組手の時は人差し指をだけを立てます。看板がありました)
お参りの帰りにやさしい日差しが背中を温めてくれました。
そして北陸本線の窓からもきれいな景色に出会いました。
最後にもう一度剣岳と霊峰立山、北アルプスの代表的な山々を。
とっても素敵な出会いに感謝です。
来年もまた来たいな。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
実は昨年、目的地に向かう途中のバスの中から、きれいな山々(呉羽山)に見とれていたら、
皇祖皇太神宮(こうそこうたいじんぐう)の看板に出会い、お参りするご縁がありました。
(名前と富山にあることは聞いたことはありましたが、場所はよく分りませんでした)
先日、テレビで呉羽山が出ていて、今年は行きたいけど、ちょっと無理かなと思っていたら、
今年も、突然の急用で富山へ。昨年から今年一年間の感謝の気持ちをお伝えするために、
今年もお参りをしてきました。
富山へは、小田原から東海道新幹線で米原を経由し、金沢を通り富山へ、
そして帰りは、新潟方面から高崎、東京を経由して小田原まで、ぐるっと一周してきました。
行きの東海道新幹線から富士山がきれいに見えました。嬉しかったです。
そして、米原で特急しらさぎ号に乗り換え、白山のある石川県を通り富山へ。
皇祖皇太神宮ある、御皇城山(おみじんやま)の登り口付近です。剣岳がきれいに見えていました。
鳥居へと続く素敵な階段。
ここに来ると安らぎと同時にとても気持ちが引き締まります。
こちらは歴代の天皇と皇后をお祀りしていらっしゃるそうです。
神武天皇よりも古く、読み方も難解でいらっしゃる方々のお名前が書いてあります。
(ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この場所については、いろいろな事が云われております。
興味のある方は調べてみて下さいね)
とても、この土地・場所に惹かれました。そして神聖な場所というのが一番の印象です。
昨年と今年一年のお礼とたくさんの人に愛と感謝の光が降りそそぎますよう、心を込めてお参りをしてきました。(こちらのお参りは四度拝八平手、一度拝です。組手の時は人差し指をだけを立てます。看板がありました)
お参りの帰りにやさしい日差しが背中を温めてくれました。
そして北陸本線の窓からもきれいな景色に出会いました。
最後にもう一度剣岳と霊峰立山、北アルプスの代表的な山々を。
とっても素敵な出会いに感謝です。
来年もまた来たいな。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
秋風そよぐ江ノ島~いにしへ散歩~ [歴史・史跡探訪]
今日は午後から江ノ島に行ってきました。
素敵な眺めです。
梵字です。
江ノ島も明治の廃仏毀釈の影響を強く受けて、既に昔のお寺はありませんが、
それでも、ずっと昔の人の想いが今もずっとそこにあるように思えました。
大山とともに江ノ島は神仏習合の江戸時代、多くの人で賑わったそうです。
最近、お寺さんに行くと神様が、神社に行くと仏様が微笑んでいるような気がします。
迫力ある風景。江ノ島の持つ、やさしさと強さ。正面から奥に行くにつれて迫力が増していきます。
この素晴らし自然の風景に、いつも魅了されます。
途中の小路にて。背中は何を言う?
こちらは・・・。江ノ島は、にゃんこもたくさんいます。
江ノ島の奥の方まで行くと海まで降りれます。この場所が一番好きかな。
なんか、落ち着きます。たくさん鳥たちも飛んでいます。
(雲が弁天様に見えるような気もします)
暗くなってきたので、今日はこの辺で帰ることにしました。
何か、ほっとします。
今日に感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
素敵な眺めです。
梵字です。
江ノ島も明治の廃仏毀釈の影響を強く受けて、既に昔のお寺はありませんが、
それでも、ずっと昔の人の想いが今もずっとそこにあるように思えました。
大山とともに江ノ島は神仏習合の江戸時代、多くの人で賑わったそうです。
最近、お寺さんに行くと神様が、神社に行くと仏様が微笑んでいるような気がします。
迫力ある風景。江ノ島の持つ、やさしさと強さ。正面から奥に行くにつれて迫力が増していきます。
この素晴らし自然の風景に、いつも魅了されます。
途中の小路にて。背中は何を言う?
こちらは・・・。江ノ島は、にゃんこもたくさんいます。
江ノ島の奥の方まで行くと海まで降りれます。この場所が一番好きかな。
なんか、落ち着きます。たくさん鳥たちも飛んでいます。
(雲が弁天様に見えるような気もします)
暗くなってきたので、今日はこの辺で帰ることにしました。
何か、ほっとします。
今日に感謝。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
古事記散歩~伊勢原・秦野散歩~ [歴史・史跡探訪]
先日、伊勢原に行ってから気になった場所を訪ねてみました。
伊勢原にある十二柱(とうふたはしら)神社、伊勢原大神宮、秦野にある出雲大社相模分祠です。
いずれも古事記の最初の方に出てくる神様が多くお祀りされている場所です。
まずは十二柱(とうふたはしら)神社へ。
伊勢原駅から歩いて15分くらい。伊勢原大神宮の近くにあります。
大山を後ろに、とても心地よい風の吹く場所にありました。きれいな蝶々も飛んでいました。
(小学校の近くぐらいの感覚で、あとは大山がきれいに見える杜を探したら、やっぱりそこでした)
御祭神は、
天御中主神 ( あめのみなかぬしのかみ ) 高皇産火神 ( たかみむすびのかみ ) 神皇産火神 ( かみみむすびのかみ ) 角杙神 ( つのぐいのかみ )宇比地迩神 ( ういじにのかみ ) 宇麻志葦彦神 ( うましあしひこのかみ ) 大斗地神 ( おおとのじのかみ ) 面足神 ( おもだるのかみ ) 天之底立命 ( あめのそこたちのかみ ) 国之底立神 ( くにのそこたちのかみ ) 伊邪那岐神 ( いざなぎのかみ ) 伊邪那美神 ( いざなみのかみ )
です。説明書きには、特に武門武将の厚い崇敬を受けたと書いてありました。
古事記の一番最初に出てくる天と地が初めて分れたときに高天(たかま)の原に現れた創世の神様から伊弉那岐命・伊邪那美命が現れるまでの頃の神様がお祀りされている神社です。(先日、伊勢原周辺の神社MAPを見ていて初めてこの神社を知りました。まさしく古事記そのもの。大山が綺麗に見える場所って所がいいです。感動です。)
次は、ここから、歩いて5分ぐらいの伊勢原大神宮へ。
由来については、
当神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615~1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。~神社HPより~
こちらの神社は伊勢神宮にならって内宮と外宮があります。
御祭神は、
内宮(ないくう) 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮(げくう) 豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
です。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。当神社境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお参りすることができます。 ~神社HPより~
青空がきれいだったので(後ろから)
心を込めてお参りをしてきました。
そして小田急で秦野駅へ。
きれいな青空。
ここからバスで出雲大社相模分祠へ。15分くらいかな。
素敵なところでした。
素敵な鳥居。
ご祭神は
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
合祀祭神28柱(兼務神社23社のご祭神)
出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公の要請によって、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。当初の御鎮座地は現社地から離れた渋沢峠でしたが、昭和50年(西暦1975年)に現社地に御遷座なさいました。以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。
~神社HPより~
こちらも心を込めてお参りしてきました。
そして神社境内にある、右から天神社、筑紫社、祓社です。
天神社、少名毘古那(すくなびこな)神は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子。最初の十二柱(とうふたはしら)神社にも神産巣日神(かみむすびのかみ)はいらっしゃいました。
筑紫社は、宗像三女神(むなかたさんじょじん)がお祀りされています。
宗像三女神と聞くと江ノ島が浮かびます。
祓戸神についてウィキペディアより、
瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。
速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ。
速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う。
※速開都比売を除いてこれらの神の名は『日本書紀・古事記』には見られない。
(他で以前に訪れた祓戸神社でも瀬織津姫様のお名前をお見かけしました。何となく清々しい気分になりました)
こちらは龍蛇神の社です。
名前のとおり、青空に龍神様。きれいでした。
この場所に来れたことに感謝です。
帰り道は、きれいな川沿いを歩いて秦野駅まで帰ることにしました。
本当にきれいな青空でした。歩いて楽しかったです。
帰りはドラえもん電車が来ました。幸せな気分になりました。
今日は、いっぱい、お参りもできました。
そして、お天気も良く、とっても気持ちのいい、感謝・感謝の一日になりました。
今日は長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
伊勢原にある十二柱(とうふたはしら)神社、伊勢原大神宮、秦野にある出雲大社相模分祠です。
いずれも古事記の最初の方に出てくる神様が多くお祀りされている場所です。
まずは十二柱(とうふたはしら)神社へ。
伊勢原駅から歩いて15分くらい。伊勢原大神宮の近くにあります。
大山を後ろに、とても心地よい風の吹く場所にありました。きれいな蝶々も飛んでいました。
(小学校の近くぐらいの感覚で、あとは大山がきれいに見える杜を探したら、やっぱりそこでした)
御祭神は、
天御中主神 ( あめのみなかぬしのかみ ) 高皇産火神 ( たかみむすびのかみ ) 神皇産火神 ( かみみむすびのかみ ) 角杙神 ( つのぐいのかみ )宇比地迩神 ( ういじにのかみ ) 宇麻志葦彦神 ( うましあしひこのかみ ) 大斗地神 ( おおとのじのかみ ) 面足神 ( おもだるのかみ ) 天之底立命 ( あめのそこたちのかみ ) 国之底立神 ( くにのそこたちのかみ ) 伊邪那岐神 ( いざなぎのかみ ) 伊邪那美神 ( いざなみのかみ )
です。説明書きには、特に武門武将の厚い崇敬を受けたと書いてありました。
古事記の一番最初に出てくる天と地が初めて分れたときに高天(たかま)の原に現れた創世の神様から伊弉那岐命・伊邪那美命が現れるまでの頃の神様がお祀りされている神社です。(先日、伊勢原周辺の神社MAPを見ていて初めてこの神社を知りました。まさしく古事記そのもの。大山が綺麗に見える場所って所がいいです。感動です。)
次は、ここから、歩いて5分ぐらいの伊勢原大神宮へ。
由来については、
当神社の創建は、江戸時代初期の元和年間(1615~1624)のことであると伝えられております。
元和六年(1620)伊勢の国の人・山田曾右衛門と鎌倉の人・湯浅清左衛門は、大山参詣の途中、千手原という松原に一夜の宿を求めたところ、水音を聞いて開墾可能であることを悟り、当時このあたりを支配していた中原代官成瀬五左衛門の許可を得て、開墾に着手したのです。そこにだんだんと粕屋あたりより人が集まり現在の伊勢原市街の基礎が形成されました。曾右衛門は、この新しい開拓地の鎮守として、故郷である伊勢の神宮の神様を勧請し、奉祭することにいたしました。こうして創建された当神社の御祭神に由来して当地は伊勢原と呼ばれるようになりました。~神社HPより~
こちらの神社は伊勢神宮にならって内宮と外宮があります。
御祭神は、
内宮(ないくう) 天照皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)
外宮(げくう) 豊受姫大神(とようけひめのおおかみ)
です。
伊勢の神宮では、天照皇大御神が内宮に、豊受姫大神が外宮に、それぞれ奉祭されています。当神社もこれにならい両宮が別々に奉祭されています。全国でも珍しい社殿構造は、江戸時代に編纂された「新編相模風土記稿」にもみられ、創建以来の伝統として現在も受け継がれております。当神社境内には神宮遥拝所が設けられ、当地より伊勢の神宮をお参りすることができます。 ~神社HPより~
青空がきれいだったので(後ろから)
心を込めてお参りをしてきました。
そして小田急で秦野駅へ。
きれいな青空。
ここからバスで出雲大社相模分祠へ。15分くらいかな。
素敵なところでした。
素敵な鳥居。
ご祭神は
大国主大神(おおくにぬしのおおかみ) 事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
合祀祭神28柱(兼務神社23社のご祭神)
出雲大社相模分祠は、明治21年(西暦1888年)に、島根県御鎮座の「出雲大社」第80代国造・千家尊福公の要請によって、当地累代の神職であり、報徳家であった草山貞胤翁が、出雲の大神の御分霊をこの地に鎮祭申し上げ、大国主大神の御神徳を関東地方に広めるための要処としたのを創まりとします。当初の御鎮座地は現社地から離れた渋沢峠でしたが、昭和50年(西暦1975年)に現社地に御遷座なさいました。以来、御社殿の増築、さらに境内地を拡張し大規模な植樹を施す等、益々その尊厳さを増して今日に至っております。
~神社HPより~
こちらも心を込めてお参りしてきました。
そして神社境内にある、右から天神社、筑紫社、祓社です。
天神社、少名毘古那(すくなびこな)神は神産巣日神(かみむすびのかみ)の御子。最初の十二柱(とうふたはしら)神社にも神産巣日神(かみむすびのかみ)はいらっしゃいました。
筑紫社は、宗像三女神(むなかたさんじょじん)がお祀りされています。
宗像三女神と聞くと江ノ島が浮かびます。
祓戸神についてウィキペディアより、
瀬織津比売(せおりつひめ) -- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。
速開都比売(はやあきつひめ) -- 海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む
気吹戸主(いぶきどぬし) -- 速開津媛命がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ。
速佐須良比売(はやさすらひめ) -- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う。
※速開都比売を除いてこれらの神の名は『日本書紀・古事記』には見られない。
(他で以前に訪れた祓戸神社でも瀬織津姫様のお名前をお見かけしました。何となく清々しい気分になりました)
こちらは龍蛇神の社です。
名前のとおり、青空に龍神様。きれいでした。
この場所に来れたことに感謝です。
帰り道は、きれいな川沿いを歩いて秦野駅まで帰ることにしました。
本当にきれいな青空でした。歩いて楽しかったです。
帰りはドラえもん電車が来ました。幸せな気分になりました。
今日は、いっぱい、お参りもできました。
そして、お天気も良く、とっても気持ちのいい、感謝・感謝の一日になりました。
今日は長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
比々多の風 [歴史・史跡探訪]
今日は、比々多神社に行ってきました。
最近、浮かぶ縄文の風のイメージと重なるように思えたので。
暑かったけど、やっぱりイメージどおりの風が吹いていて、とっても気持ちよかったです。
比々多神社です。道を曲がったところに見えてくるこの風景が好きです。
神社の裏には、縄文時代の遺跡もあります。
正面から見たころです。心を込めてお参りをしてきました。
今日は、神社にある博物館にも行ってきました(前回は時間が遅かったので見れませんでした)。
きれいな勾玉や未だ輝きを保つ剣があり、感動。
そして、今日は神社周辺の風を感じたかったので、てくてくお散歩。
やっぱり風が気持ちいい。
さわやか。
縄文の風のイメージにぴったり。
本当に心地よい空気というか風というか、いっぱい深呼吸してきました。
けっこう歩いたけど、とっても癒されたお散歩でした。
今日も感謝です。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
最近、浮かぶ縄文の風のイメージと重なるように思えたので。
暑かったけど、やっぱりイメージどおりの風が吹いていて、とっても気持ちよかったです。
比々多神社です。道を曲がったところに見えてくるこの風景が好きです。
神社の裏には、縄文時代の遺跡もあります。
正面から見たころです。心を込めてお参りをしてきました。
今日は、神社にある博物館にも行ってきました(前回は時間が遅かったので見れませんでした)。
きれいな勾玉や未だ輝きを保つ剣があり、感動。
そして、今日は神社周辺の風を感じたかったので、てくてくお散歩。
やっぱり風が気持ちいい。
さわやか。
縄文の風のイメージにぴったり。
本当に心地よい空気というか風というか、いっぱい深呼吸してきました。
けっこう歩いたけど、とっても癒されたお散歩でした。
今日も感謝です。
たくさんの人にやさしい光がふりそそぎますように。
タグ:比々多の風
水の街、三島 楽寿園 [歴史・史跡探訪]
今日は三島市にある楽寿園に行ってきました。
ふっと思い立って行ってみました。
午前中の涼しい時に水のせせらぎを感じて三島の街を歩いてみたくなりました。
入口を入るとこんな感じ。気持ちよかったです。
~楽寿園は案内パンフレットによると、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が、
明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年7月15日から市立公園として
三島市が管理していますとのこと。近年湧水は減少していますが、小浜池やせり瀬などの
天然池泉に富士山の雪解け水が湧きだす景観にはすばらしいものがあり、この湧水と周囲
の自然林からなる庭園は昭和29年3月20日付けで国の天然記念物及び名勝に指定されたとのこと~
小浜池から楽寿館を望む。
(1年のうちで水が湧き出ている時は、ほんの少しの期間だけみたいです)
カメさん、カモさん、おくつろぎ中。
池の中州には広瀬神社があります。水神様をお祀りしているのかな。
今日も心を込めてお参り。
ここからは、せりの瀬、中の瀬あたりの素敵な眺めを。
とっても気持ち良くて癒されました。感謝。
このあと桜川沿いを三嶋大社まで歩き・・・。
カモの親子に遭遇。
心を込めてお参りのあとは
いつもの福太郎とお茶のセットを頂いて。
今日も、この場所に来れたことに感謝。
今日も、たくさんのやさしい光が降りそそぎますように。
(楽寿園はJR三島駅南口から徒歩5分程です。湧水の状況は公式HPで確認できます。)http://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/
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いつも、ご覧いただきありがとうございます。
ふっと思い立って行ってみました。
午前中の涼しい時に水のせせらぎを感じて三島の街を歩いてみたくなりました。
入口を入るとこんな感じ。気持ちよかったです。
~楽寿園は案内パンフレットによると、明治維新で活躍された小松宮彰仁親王が、
明治23年に別邸として造営されたもので、昭和27年7月15日から市立公園として
三島市が管理していますとのこと。近年湧水は減少していますが、小浜池やせり瀬などの
天然池泉に富士山の雪解け水が湧きだす景観にはすばらしいものがあり、この湧水と周囲
の自然林からなる庭園は昭和29年3月20日付けで国の天然記念物及び名勝に指定されたとのこと~
小浜池から楽寿館を望む。
(1年のうちで水が湧き出ている時は、ほんの少しの期間だけみたいです)
カメさん、カモさん、おくつろぎ中。
池の中州には広瀬神社があります。水神様をお祀りしているのかな。
今日も心を込めてお参り。
ここからは、せりの瀬、中の瀬あたりの素敵な眺めを。
とっても気持ち良くて癒されました。感謝。
このあと桜川沿いを三嶋大社まで歩き・・・。
カモの親子に遭遇。
心を込めてお参りのあとは
いつもの福太郎とお茶のセットを頂いて。
今日も、この場所に来れたことに感謝。
今日も、たくさんのやさしい光が降りそそぎますように。
(楽寿園はJR三島駅南口から徒歩5分程です。湧水の状況は公式HPで確認できます。)http://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/
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タグ:水の街、三島 楽寿園
古事記を訪ねて~走水神社~ [歴史・史跡探訪]
今日は、前から気になっていた横須賀にある走水(はしりみず)神社に行ってきました。
ここは古事記にも出てくる場所で、ヤマトタケルノミコトと后オトタチバナヒメノミコトに
関係の深い神社です。二宮で吾妻神社に出会ってからずっと気になっていました。
やさしさあふれる場所でした。心を込めて精一杯、お参りしてきました。
神社説明書から創建について主な部分です。
走水の地名はすでに古事記(712年)や日本書紀(720年)の中に表れています。
大和朝廷時代に上総(千葉県)を経て東北地方に渡る最も便利な道として、この地方に古東海道が
通じておりました。走水神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)とその后、弟橘媛命(オトタチ
バナヒメノミコト)の二柱です。神社の創建された年代については、享保年間の火災で、神社の記録
や社宝が焼失してしまったのでわかりません。伝説では、景行天皇の即位40年(110年)東夷征討
の命を受けた大和武尊が、この走水から上総へ渡られるにあたり村民に「冠」を賜りましたので、冠を
石櫃に納めてその上に社殿を建て、大和武尊を祭ったことに始まると伝えています。
日本武尊が渡海の際、海上が荒れ、いまにも身が沈みそうになりました。海神の怒りであろうと考え
られた弟橘媛命は
~さねさしさがむのをぬにもゆるひの ほなかにたちてとひしきみはも~
の歌を残し日本武尊に代わって海に身を投じ風波を鎮めました。
弟橘姫尊はもと旗山崎に橘神社として祭られていましたが、その地が軍用地に買収されたため、
明治42年、この神社に祭られました。
歌について、もう少し詳しくウィキペディア(弟橘媛)より、
~さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも~
~佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母~
「相模の野に燃え立つ火の中で、わたしの心配をしてくださった貴方」という意味である。
相模の国造にだまされ、火攻めにあった時のことを言っている。『古事記』にのみ存在する歌である。
尊に対する感謝の気持ちがよく表れている。
尊の「吾妻はや」という言葉とあわせると、ふたりは固い絆で結ばれていたことがわかる。
{媛を忘れられない尊は、『日本書紀』によれば碓日嶺(うすひのみね。現在の碓氷峠)、『古事記』によれば神奈川県の足柄の坂本(足柄山)において、「吾妻はや」(我が妻よ)と嘆いた。日本の東部を「あずま」と呼ぶのは、この故事にちなむという。いわゆる地名起源説話である}
歌の訳についてもうひとつ、
≪あの相模国の人里離れた野原で、火に囲まれ、ぼうぼうと燃える炎の中で、わたしの名を呼んでくださったあなたですもの≫【古事記:梅原猛 学研M文庫134頁】
他にも訳があるようです。やさしい感じのするものがほとんどみたいです。
御本殿の横から丘に登る素敵な道がありました。
(写真はありませんが、御本殿の後ろに回ると水の神様カッパ様がお祀りされていました)
途中の展望スペースはとてもきれいな景色でした。
この道の先には・・・。
素敵なお社がありました。
諏訪神社 神明社 須賀神社です。素敵な場所です。
こころを込めてお参り。そして下山。
今日もこの場所にこれたことに感謝。
大和武尊さま、弟橘媛命さま、ありがとうございます。
このあとは観音崎付近を散歩
海とそらがとってもきれいで心地よかったです。
三浦半島は歴史がいっぱい詰まった場所です。
今日もこの場所に来れたことに感謝の一日でした。
(今日は、やっとこの場所に来れた、お会いできたという感じがして、清々しい気持ちになりました)
今日も、たくさんの人にやさしい光が届きますように。
~今日は長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
走水神社へは、京急、馬堀海岸駅からバス観音崎行きで走水神社下車すぐです。~
ここは古事記にも出てくる場所で、ヤマトタケルノミコトと后オトタチバナヒメノミコトに
関係の深い神社です。二宮で吾妻神社に出会ってからずっと気になっていました。
やさしさあふれる場所でした。心を込めて精一杯、お参りしてきました。
神社説明書から創建について主な部分です。
走水の地名はすでに古事記(712年)や日本書紀(720年)の中に表れています。
大和朝廷時代に上総(千葉県)を経て東北地方に渡る最も便利な道として、この地方に古東海道が
通じておりました。走水神社の祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)とその后、弟橘媛命(オトタチ
バナヒメノミコト)の二柱です。神社の創建された年代については、享保年間の火災で、神社の記録
や社宝が焼失してしまったのでわかりません。伝説では、景行天皇の即位40年(110年)東夷征討
の命を受けた大和武尊が、この走水から上総へ渡られるにあたり村民に「冠」を賜りましたので、冠を
石櫃に納めてその上に社殿を建て、大和武尊を祭ったことに始まると伝えています。
日本武尊が渡海の際、海上が荒れ、いまにも身が沈みそうになりました。海神の怒りであろうと考え
られた弟橘媛命は
~さねさしさがむのをぬにもゆるひの ほなかにたちてとひしきみはも~
の歌を残し日本武尊に代わって海に身を投じ風波を鎮めました。
弟橘姫尊はもと旗山崎に橘神社として祭られていましたが、その地が軍用地に買収されたため、
明治42年、この神社に祭られました。
歌について、もう少し詳しくウィキペディア(弟橘媛)より、
~さねさし 相武(さがむ)の小野に 燃ゆる火の 火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも~
~佐泥佐斯 佐賀牟能袁怒邇 毛由流肥能 本那迦邇多知弖 斗比斯岐美波母~
「相模の野に燃え立つ火の中で、わたしの心配をしてくださった貴方」という意味である。
相模の国造にだまされ、火攻めにあった時のことを言っている。『古事記』にのみ存在する歌である。
尊に対する感謝の気持ちがよく表れている。
尊の「吾妻はや」という言葉とあわせると、ふたりは固い絆で結ばれていたことがわかる。
{媛を忘れられない尊は、『日本書紀』によれば碓日嶺(うすひのみね。現在の碓氷峠)、『古事記』によれば神奈川県の足柄の坂本(足柄山)において、「吾妻はや」(我が妻よ)と嘆いた。日本の東部を「あずま」と呼ぶのは、この故事にちなむという。いわゆる地名起源説話である}
歌の訳についてもうひとつ、
≪あの相模国の人里離れた野原で、火に囲まれ、ぼうぼうと燃える炎の中で、わたしの名を呼んでくださったあなたですもの≫【古事記:梅原猛 学研M文庫134頁】
他にも訳があるようです。やさしい感じのするものがほとんどみたいです。
御本殿の横から丘に登る素敵な道がありました。
(写真はありませんが、御本殿の後ろに回ると水の神様カッパ様がお祀りされていました)
途中の展望スペースはとてもきれいな景色でした。
この道の先には・・・。
素敵なお社がありました。
諏訪神社 神明社 須賀神社です。素敵な場所です。
こころを込めてお参り。そして下山。
今日もこの場所にこれたことに感謝。
大和武尊さま、弟橘媛命さま、ありがとうございます。
このあとは観音崎付近を散歩
海とそらがとってもきれいで心地よかったです。
三浦半島は歴史がいっぱい詰まった場所です。
今日もこの場所に来れたことに感謝の一日でした。
(今日は、やっとこの場所に来れた、お会いできたという感じがして、清々しい気持ちになりました)
今日も、たくさんの人にやさしい光が届きますように。
~今日は長くなりましたが、お付き合いいただきありがとうございます。
走水神社へは、京急、馬堀海岸駅からバス観音崎行きで走水神社下車すぐです。~
箱根神社 [歴史・史跡探訪]
芦ノ湖の周りを散歩しながら、箱根神社から九頭龍神社まで行ってきました。
とっても気持ちがよかったです。箱根神社の御祭神は箱根大神、≪瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)≫です。
創建は宝字元年(757年)です。
参道入口の鳥居です。
こちらは、芦ノ湖に建っている平和の鳥居です。気持ちのよいところです。
ここから、少々登り坂の階段になっています。
とっても気持ちのよい参道です。心が落ち着く空間でした。
御本殿です。心を込めて祈願してきました。
御本殿のお隣にある九頭龍神社新宮です。
本宮はここから、芦ノ湖沿いに歩いて、40分程のところにあります。
安産の杉です。この木の周りがとても心地よく、とてもすがすがしく感じました。
この大杉は、古代山岳信仰の名残りをとどめる幸運の栄木です。遠い神代の高高天原から光臨された皇孫 瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) が、この地上で初めて出会った容色婉女な 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと ) (富士山の神様)と結婚して、日継の皇子 彦火火出見尊 ( ひこほほでみのみこと ) が誕生されたという神話に由来します。
箱根神社はこの皇祖三神をおまつりしていますが、この木は古代祭祀の象徴たる 神籬 ( ひもろぎ ) (栄木)として崇めてきたものです。これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するようになりました。かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生しました。爾来武家庶民の間にもこの風習が広く行れるようになったといわれます。
こうしたことから、境内にある矢立の杉と共に「霊妙杉」と称えられていますが、今日でも当神社の安産守は霊験灼かだと信仰されています。~ 神社ホームページより~
ここから芦ノ湖の周りを歩いて九頭龍神社まで。
心地よい風に吹かれて歩いていくと、湖畔に九頭龍神社の鳥居が見えてきます。
(ちなみに、箱根神社から九頭龍神社までは、毎月13日の月次祭のみ船(有料)がでているようです。それ以外は歩くしかありません。九頭龍神社のみの参拝であれば、箱根園から歩いて15分程です。両方お参りがしたかったので、箱根神社から歩いていきました)。
ここから先は、公園(九頭龍の森)になっており、徒歩で来るとお参りだけでも、入館料500円が必要です。
白龍神社です。素敵な場所です。
「白龍」とは、その昔、箱根権現でお祀りされていた「白和龍王(しろわりゅうおう」の名を略したもので、例祭は、毎年6月13日、九頭龍神社本宮の例祭に引き続いて行われています。
社傳によると、白和龍王は、江戸時代末まで左鵲王(さじゃくおう)と右鵲王(うじゃくおう)と呼ばれる神々と共に箱根権現でお祀りされていた龍神と伝えられています。(『筥根山神道口訣』はこねやましんとうくけつ)
~神社ホームページより~
ここから、九頭龍神社まですこし歩きます。
九頭龍神社です。素敵な場所でした。
その昔、人民に被害を与えていた毒龍に対し、萬巻上人が湖中に石壇を築いて調伏の祈祷を行ったところ、毒龍 は形を改め、寳珠并に錫杖を捧げて帰依し、龍神となりました。今では、多くの人々に開運隆盛はもとより金運守護、商売繁盛、縁結びの龍神様として崇められていますとのことです。~神社ホームページより~
最後に富士山。
~たくさんの人のこころが平安でありますように~
今日も、この場所に来れたことに感謝して帰宅しました。
箱根神社のホームページです。http://hakonejinja.or.jp/
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
とっても気持ちがよかったです。箱根神社の御祭神は箱根大神、≪瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、 彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)≫です。
創建は宝字元年(757年)です。
参道入口の鳥居です。
こちらは、芦ノ湖に建っている平和の鳥居です。気持ちのよいところです。
ここから、少々登り坂の階段になっています。
とっても気持ちのよい参道です。心が落ち着く空間でした。
御本殿です。心を込めて祈願してきました。
御本殿のお隣にある九頭龍神社新宮です。
本宮はここから、芦ノ湖沿いに歩いて、40分程のところにあります。
安産の杉です。この木の周りがとても心地よく、とてもすがすがしく感じました。
この大杉は、古代山岳信仰の名残りをとどめる幸運の栄木です。遠い神代の高高天原から光臨された皇孫 瓊瓊杵尊 ( ににぎのみこと ) が、この地上で初めて出会った容色婉女な 木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと ) (富士山の神様)と結婚して、日継の皇子 彦火火出見尊 ( ひこほほでみのみこと ) が誕生されたという神話に由来します。
箱根神社はこの皇祖三神をおまつりしていますが、この木は古代祭祀の象徴たる 神籬 ( ひもろぎ ) (栄木)として崇めてきたものです。これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するようになりました。かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生しました。爾来武家庶民の間にもこの風習が広く行れるようになったといわれます。
こうしたことから、境内にある矢立の杉と共に「霊妙杉」と称えられていますが、今日でも当神社の安産守は霊験灼かだと信仰されています。~ 神社ホームページより~
ここから芦ノ湖の周りを歩いて九頭龍神社まで。
心地よい風に吹かれて歩いていくと、湖畔に九頭龍神社の鳥居が見えてきます。
(ちなみに、箱根神社から九頭龍神社までは、毎月13日の月次祭のみ船(有料)がでているようです。それ以外は歩くしかありません。九頭龍神社のみの参拝であれば、箱根園から歩いて15分程です。両方お参りがしたかったので、箱根神社から歩いていきました)。
ここから先は、公園(九頭龍の森)になっており、徒歩で来るとお参りだけでも、入館料500円が必要です。
白龍神社です。素敵な場所です。
「白龍」とは、その昔、箱根権現でお祀りされていた「白和龍王(しろわりゅうおう」の名を略したもので、例祭は、毎年6月13日、九頭龍神社本宮の例祭に引き続いて行われています。
社傳によると、白和龍王は、江戸時代末まで左鵲王(さじゃくおう)と右鵲王(うじゃくおう)と呼ばれる神々と共に箱根権現でお祀りされていた龍神と伝えられています。(『筥根山神道口訣』はこねやましんとうくけつ)
~神社ホームページより~
ここから、九頭龍神社まですこし歩きます。
九頭龍神社です。素敵な場所でした。
その昔、人民に被害を与えていた毒龍に対し、萬巻上人が湖中に石壇を築いて調伏の祈祷を行ったところ、毒龍 は形を改め、寳珠并に錫杖を捧げて帰依し、龍神となりました。今では、多くの人々に開運隆盛はもとより金運守護、商売繁盛、縁結びの龍神様として崇められていますとのことです。~神社ホームページより~
最後に富士山。
~たくさんの人のこころが平安でありますように~
今日も、この場所に来れたことに感謝して帰宅しました。
箱根神社のホームページです。http://hakonejinja.or.jp/
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
タグ:箱根神社
伊豆山神社 [歴史・史跡探訪]
伊豆山神社です。前日にMOA美術館に行った際に近くにあるとの案内板を見つけたので行ってみました。前から気にはなっていましたが、場所がよくわからなかったので、この機会に行くことにしました。熱海駅からバスも出ていますが、海まで20分程、歩いて参道の出発点からお参りしてきました(写真は、おととい(7日)のものです)。≪駅の観光案内所で散策マップがもらえます≫
参道階段上り基準点にある、走り湯です。すごい熱気です。1300年以上もの歴史を持つ伊豆山の源泉。その名のとおり、凄い勢いで温泉が湧き出ています。
スタート地点の看板です。全部で837段。そばの走り湯神社でお参りしてスタートです。
参道はこんな感じです。桜がとってもきれいで、風情があり、感動しました。
伊豆山神社入口です。下から上ってくると、感動も倍増です。
役の小角(えんのおずぬ)社です。役の小角さんの像があります。修験道の開祖様です。
やっと、伊豆山神社に到着です。御創立の年代は、定かではなく、人皇御五代孝昭天皇の御代と伝えられているとのことです。神社のホームページです。http://jinjya.info/
心を込めてお参りしてきました。御祭神は伊豆大神【(火牟須比命(ほのむすひのみこと)、伊邪那伎命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)】です。
境内には光り石があります。
説明書きによると、走り湯縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)より道祖神(猿田彦大神【サルタヒコノオオカミ】天宇愛媛命【アメノウズメノミコト】)とともに来た神様の降り立つ光り石です。神様の愛を受けて良きことがありますよう光のパワーを沢山、沢山賜って光り石にさわったり、座ったりしてお参りくださいとのこと。いっぱいさわって、座ってきました。そしてこのすぐ後ろにある雷電社にもお参りしてきました。
先日いった、大磯の高麗山と関係があるみたいです。何となく雰囲気が似たものを感じました。伊豆山神社はこの上に白山社があり、そのさらにおくには本宮があります。大磯高麗山(高来神社)も、神社裏手から急な山を登ると、白山社や本宮があったようですが、今では現存しておりません。
ちなみに、白山社のお参りしたかったのですが、イノシシがでるので一人では登らないでくださいと書いてあったので断念しました。入り口までいってお参りを済ませました。それでも温かい感じがしました(白山社の御祭神は伊豆大神寄魂と菊理媛神【くくりひめのかみ】)。寄魂(くしみたま)についてウィキペディアよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82
入り口から20分ほど急な坂を登るみたいです。またの機会に。
帰りも海まで参道を通って。参道にあった看板によると、江戸時代には参道沿いにお寺さんが建ち並んでいたそうです。明治維新後の神仏分離令、廃仏毀釈で、無くなったそうです。
こんなのが見送ってくれました。「また、おいで」って言っているようでした。
伊豆山神社は源頼朝と北条政子が結ばれた場所として有名ですが、かなり古い歴史を持つ見応えのある神社でした。時間と体力があるかたは、是非、走り湯の参道上り基点からのお参りを体験してみて下さい。
この日も、この場所に来れたことに感謝して帰宅しました。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
参道階段上り基準点にある、走り湯です。すごい熱気です。1300年以上もの歴史を持つ伊豆山の源泉。その名のとおり、凄い勢いで温泉が湧き出ています。
スタート地点の看板です。全部で837段。そばの走り湯神社でお参りしてスタートです。
参道はこんな感じです。桜がとってもきれいで、風情があり、感動しました。
伊豆山神社入口です。下から上ってくると、感動も倍増です。
役の小角(えんのおずぬ)社です。役の小角さんの像があります。修験道の開祖様です。
やっと、伊豆山神社に到着です。御創立の年代は、定かではなく、人皇御五代孝昭天皇の御代と伝えられているとのことです。神社のホームページです。http://jinjya.info/
心を込めてお参りしてきました。御祭神は伊豆大神【(火牟須比命(ほのむすひのみこと)、伊邪那伎命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)】です。
境内には光り石があります。
説明書きによると、走り湯縁起と吾妻鏡の大磯高麗山(高来神社)より道祖神(猿田彦大神【サルタヒコノオオカミ】天宇愛媛命【アメノウズメノミコト】)とともに来た神様の降り立つ光り石です。神様の愛を受けて良きことがありますよう光のパワーを沢山、沢山賜って光り石にさわったり、座ったりしてお参りくださいとのこと。いっぱいさわって、座ってきました。そしてこのすぐ後ろにある雷電社にもお参りしてきました。
先日いった、大磯の高麗山と関係があるみたいです。何となく雰囲気が似たものを感じました。伊豆山神社はこの上に白山社があり、そのさらにおくには本宮があります。大磯高麗山(高来神社)も、神社裏手から急な山を登ると、白山社や本宮があったようですが、今では現存しておりません。
ちなみに、白山社のお参りしたかったのですが、イノシシがでるので一人では登らないでくださいと書いてあったので断念しました。入り口までいってお参りを済ませました。それでも温かい感じがしました(白山社の御祭神は伊豆大神寄魂と菊理媛神【くくりひめのかみ】)。寄魂(くしみたま)についてウィキペディアよりhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E9%AD%82%E3%83%BB%E5%92%8C%E9%AD%82
入り口から20分ほど急な坂を登るみたいです。またの機会に。
帰りも海まで参道を通って。参道にあった看板によると、江戸時代には参道沿いにお寺さんが建ち並んでいたそうです。明治維新後の神仏分離令、廃仏毀釈で、無くなったそうです。
こんなのが見送ってくれました。「また、おいで」って言っているようでした。
伊豆山神社は源頼朝と北条政子が結ばれた場所として有名ですが、かなり古い歴史を持つ見応えのある神社でした。時間と体力があるかたは、是非、走り湯の参道上り基点からのお参りを体験してみて下さい。
この日も、この場所に来れたことに感謝して帰宅しました。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
タグ:伊豆山神社
祈りの街 鎌倉~part2~ [歴史・史跡探訪]
龍口寺です。ここは、大仏さんのところへ行く途中に、江ノ電から、「日蓮聖人龍ノ口法難ノ霊場」という看板を見つけたので、この機会に行ってみることにしました。江ノ電の腰越駅から江ノ島駅に向かって歩くことにしました。ちょうど駅と駅の間なので。
素敵な仁王門が出迎えてくれました。
刑場跡地の碑です。
「当地は鎌倉幕府時代の刑場跡で文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)日蓮聖人は立正安国論の諌言によりこの刑場敷皮石(首・座)にすえられ時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び降りてきて役人ども眼がくらみ、この奇瑞の為ついに聖人の首をきることができなかった。即ち日蓮聖人龍の口法難の霊場であります」とのことです。
素敵な山門です。大きなお寺さんです。
大本堂です。天保3年竣工の神奈川県の代表的な木造建築物だそうです。(パンフレットによる)
五重塔です。明治43年竣工。神奈川県唯一の本式木造五重塔で大本堂とともに「神奈川県建築物百選」にされているそうです。(同じくパンフレットより)
仏舎利塔です。こちらは昭和45年竣工です。
そして、仏舎利塔付近からの眺めです。江ノ島が眼下にあります。きれいなところです。
ここで、風もでてきたので、龍口寺にお礼を言って帰宅しようとしたところ、お隣にある鳥居が気になったのでよってみると・・・
こんなところです。今は移転して旧社として残っているみたいです。神奈川県でもかなり古い神社でした。
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)
御祭神は玉依姫(たまよりひめのみこと) 五頭龍大神(ごずりゅうおおかみ)です。
玉依姫について 海神族の乙姫様で、初代天皇の神武帝の母君です。
五頭龍大神について 欽明天皇の御代 江の島が湧出した折 弁天様が天降り、かつてから悪行を働いていた五頭龍は弁天様との結婚により悔い改め山となり国家安豊の神になったという御由緒がありますとのこと。
欽明天皇13年(西暦552年)
帰りは江ノ島の前を通って駅に向かい帰宅しました。今日も素敵な出会いに感謝の一日でした。
みなさまに素敵な光が届きますように。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。
素敵な仁王門が出迎えてくれました。
刑場跡地の碑です。
「当地は鎌倉幕府時代の刑場跡で文永8年(1271)9月13日子丑の刻(午前2時)日蓮聖人は立正安国論の諌言によりこの刑場敷皮石(首・座)にすえられ時あたかも江の島の方より満月の如き光りものが飛び降りてきて役人ども眼がくらみ、この奇瑞の為ついに聖人の首をきることができなかった。即ち日蓮聖人龍の口法難の霊場であります」とのことです。
素敵な山門です。大きなお寺さんです。
大本堂です。天保3年竣工の神奈川県の代表的な木造建築物だそうです。(パンフレットによる)
五重塔です。明治43年竣工。神奈川県唯一の本式木造五重塔で大本堂とともに「神奈川県建築物百選」にされているそうです。(同じくパンフレットより)
仏舎利塔です。こちらは昭和45年竣工です。
そして、仏舎利塔付近からの眺めです。江ノ島が眼下にあります。きれいなところです。
ここで、風もでてきたので、龍口寺にお礼を言って帰宅しようとしたところ、お隣にある鳥居が気になったのでよってみると・・・
こんなところです。今は移転して旧社として残っているみたいです。神奈川県でもかなり古い神社でした。
龍口明神社(りゅうこうみょうじんしゃ)
御祭神は玉依姫(たまよりひめのみこと) 五頭龍大神(ごずりゅうおおかみ)です。
玉依姫について 海神族の乙姫様で、初代天皇の神武帝の母君です。
五頭龍大神について 欽明天皇の御代 江の島が湧出した折 弁天様が天降り、かつてから悪行を働いていた五頭龍は弁天様との結婚により悔い改め山となり国家安豊の神になったという御由緒がありますとのこと。
欽明天皇13年(西暦552年)
帰りは江ノ島の前を通って駅に向かい帰宅しました。今日も素敵な出会いに感謝の一日でした。
みなさまに素敵な光が届きますように。
いつも、ご覧いただきありがとうございます。